MINOCAFE
日記、自由帳

「じゅうようなこと」

昼頃、窓の向こうから小さな男の子の「じゅうようなことだから!」という声が聴こえてきた。

男の子の声は、すがりつくような声で、あれはきっと母親に言っていたんだと思う。

そして、その男の子の「重要なこと」という言葉に、なんだか嬉しいような、愛おしいような気持ちが込み上げてきた。

子どもが、「重要なこと」と言っているんだから、それはもう絶対に「重要なこと」なのだ。大人の比じゃない。

もし、じぶんの子どもが、「重要なこと」と言ったら、思いっきり抱きしめて心のうちでそっと語りかける。

そうかそうか、「重要なこと」は、手放しちゃだめだぞ。これから先、友だちや、見ず知らずの悪意が、お前のその「重要なこと」を、壊したり、笑ったり、奪ったり、まるで存在しないもののように扱うかもしれない。

もしかしたら、お父さんやお母さんも、気づかないうちに傷つけてしまうかもしれない。

きっと、君の「重要なこと」は、大人になる頃には、ぼろぼろになっているだろう。

でも、絶対に手放しちゃだめだ。

そうすれば、必ずいつか、君の「重要なこと」を、たとえ、それがどんなにぼろぼろであったとしても、むしろそれゆえに、同じように「重要なこと」として大切に想ってくれるひとが、目の前に現れるから。

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